【第二十八話】祝! 市政100周年
ここでは「沼津」の変遷をご紹介致します。
明治2年(1869年)に版籍奉還が実施され、沼津の属する府中藩(後に静岡藩)も藩主徳川家達が、
新政府の方針に従って、形の上で土地・人民を朝廷に返しました。
しかし家達がそのまま藩知事に任命された為、実質的な封建制度の廃止とはなりませんでした。
そのため政府は、明治4年(1871年)に廃藩置県をおこない、徳川家達は東京へ帰京を命じられ、
駿河国は静岡県となり、新しい「県」の指導者には、中央から「県令」が任命。
こうして、封建制度はくずされその後、明治9年(1876年)に、足柄県・浜松県を合併して
現在の静岡県が誕生。県内は大区・小区に分類され、沼津付近は第一大区となりました。
その後、大正12年(1923年)7月1日、沼津町は楊原村と対等合併し沼津市が誕生。
全国で89番目の市であり、県内では静岡・浜松に次ぐ3番目でありました。
人口34,482、世帯数5,596、初代市長は、県会議長をつとめた和田伝太郎(鷹峰)の子、
伝太郎(同名)でした。
昭和19年(1944年)片浜・金岡・大岡・静浦の4村と合併、昭和28年(1953年)に公布された
町村合併促進法をうけ、昭和30年(1955年)には愛鷹・大平・内浦・西浦の4村と合併、
昭和43年(1968年)原町と合併し、人口は18万人、昭和50年(1975年)までに20万人に達した。
高度成長期、沼津市もかつてないほどの変貌をとげた。一面の田んぼだった沼津駅から
根方の集落までの間は住宅地となり、駅北や愛鷹山麓には大工場が進出した。沼津駅前には
昭和30年代以降大型デパートが出店、現在は駅北や郊外にも大規模商業施設が進出しております。
そして記憶に新しいところでは、地方分権の推進と行財政改革が進む中「平成の大合併」といわれる
市町村合併が全国的に推進され、本市も平成17年(2005年)に戸田村と合併。
そして、令和5年(2023年)めでたく市政100周年を迎えることとなりました。